国指定遺跡「宗麟原供養塔 」 - 川南町 -
2010年05月26日
現在にその姿を残す、西の関ヶ原といわれた、
九州争覇戦・古城合戦の戦没者を供養する塔。
天正6(1578)年11月12日に、鹿児島(薩摩)の島津氏と
大分(豊後)の大友氏との間で繰り広げられた九州争覇戦・高城合戦
(耳川の戦い)の戦没者を供養するため、高城城主の島津軍武将、
山田新介有信が天正13年に建立したものである。供養塔の高さ3.5m、
1辺24mの供養塚の一部削って建てられているが、元々は供養塚の
南側に立っていたと考えられている。平成15年の供養塔の周辺の
発掘調査では、供養塚の周りに24m四方の板で作った塀の痕が
見つかり、供養塚の南には、溝で囲った12m四方の斎場
(お祭りをする場所)が見つかった。なぜ供養塔の位置が変わったのかと
いうことだが、これは、明治時代初期の廃仏毀釈で、供養塔が東側の
地蔵谷という谷に捨てられ、大正時代頃に谷底から持って上がってきて
現在の位置に据え直したためである。
毎年11月12日には「宗麟原供養塔供養祭」が行われる。
TEL:0983-27-1497 (川南町観光協会)
